自己紹介
はじめまして。
ホリキタと申します。
10年以上前に、都内の私大を卒業した都内JTC勤務の社会人です。
コロナ影響による世の中の変化に対し思うところあり、
意を決し再び大学で真剣に学びたいと思い、再受験に挑戦します。
※写真は非本人です。
Twitterもやっています。
小学生~中学生時代
とにかく、理科が大好きな少年でした。
小学生のころは、誕生日プレゼントに母が小学館の図鑑を買ってきてくれて、 それを毎日、穴が開くほどじっくり読んでいました。
中学生のころは、休み時間にはずっと理科の資料集を眺めて過ごしていました。
卒業文集には、将来の夢は「科学者になること」と書いていました。
高校時代
地方の公立校を卒業しました。
(いちおう、その地域では、進学校と呼ばれている学校でした。
と言っても、公立校しかないような地方都市で、その学校からの東京大学入学者も毎年1桁でした)
ちなみに部活はやっておらず、3年間帰宅部でした。
理学部・物理学科、に行くのが目標で、
現役では、前期も後期も東京大学(理一)を受験して不合格。
(前期の理科の解答用紙は、三角形にハサミで切り取り。後期試験もまだ実施があった時代です)
※当時はまだ、国立大の二次試験の得点開示の制度がありませんでした。
(不合格者の中での、ランク帯が通知されるだけでした)
※ちなみに、昔の教育課程なので、
・「共通テスト」の前身の「センター試験」の時代です。
・東大はセンター試験は理系でも理科1科目で、5教科6科目の800点満点でした。
・センター試験の英語に「リスニング」は無く、代わりに「発音・アクセント」の問題があった時代です。
・数学には旧)数学Cというのがあり、「行列」がありました。
・化学では、まだ教科書に「ボルタの電池」が載っていた時代です。
・理科は基礎科目は無く、化学1B, 化学II、物理IB, 物理IIの時代です。
・ほとんどの教科書は、カラーではなく白黒か2色刷りでした。
私立は受けておらず、そのまま浪人することになります。
浪人時代
駿台の名古屋校で1年間、勉強しました。
(10年以上前なので、駿台名古屋校が現在のビルに移転する前の、まだ丸の内(愛知県立図書館の近く)に名古屋校があった時代です。
現在は、この建物は、星城大学・名古屋丸の内キャンパス になっています)
(写真は、当時、名古屋の丸の内にあった、旧・駿台名古屋校)
「東大理系スーパーコース」のSAクラスに在籍していました。
当時、授業を受けていて今でも記憶に残っている先生を挙げると以下です。
教科 | 講師 | 印象に残っている口癖 |
---|---|---|
英語 | 竹岡広信 | 動作動詞の現在形は習慣を表す! butに線引いて、「主張」と書け!以上、終り! ええか、書けないことは書かない! |
化学 | 石川正明 | 電子君、電子君 ガッチン、ポイ!パカッ、とポイ! |
物理 | 新田克己 | エックスツードット |
数学 | 三森司 | いいですか。サメーション、エクスポーネンシャル、キャピタルエックス、 |
数学 | 安田亨 | |
現代文 | 松本孝子 | ~とか言ってる。さっと棒線引いてA。 |
古文 | 丸谷美衣 |
(※駿台はなぜか先生のことを○○師、と表記していました)
特に、物理の新田克己先生と、化学の石川正明先生の授業は本当に面白かった思い出があります。
で、浪人でも東大の理一を受験、またしても不合格でした。
さすがに二浪は経済的に申し訳なく、
センター利用入試で合格していた東京の私立大学(神楽坂にある某・理系の単科大学)に入学しました。
大学時代
東京の私立大学(神楽坂にある某・理系の単科大学)では、理学部・物理学科で学びました。
私の入った大学は、当時で「平均卒業年数が5.6年」という大学で、
半分以上の学生が留年していました。
(1年生から2年生に進級する際と、3年生から4年生に進級する際に、
「関門科目」と呼ばれる必修科目の単位取得が進級のための絶対条件に設定されていました)
大学で学ぶ「物理」は、受験勉強のそれとはレベルも内容も全く別物に感じ、
試験でも「C」「D」ばかりでした。
類に漏れず、私も5年間かけてようやく卒業することができました。
社会時になってから
大学に入学した時には、「将来はもちろん、大学院修士課程まで進みたいな」と漠然と考えていましたが、 前述のように、学部の勉強についていくのがやっとで、院試などまったく遠い夢となり、 5年かけて卒業した後は、都内の企業に就職しました。
(「卒業するのがたいへん難しい大学」という評価は、企業の採用者の間でも知られており、 それが功を奏してか、採用時の面接では、留年したことは全くマイナスには受け取られませんでした)
そして、新卒で就職した会社で10年以上働き続けた今、
世界が新型コロナの影響で大きく変化している中で、
自分の働き方や生き方をもう一度、真剣に考える時間が増えました。
コロナで、大切な命を失ってしまう人が大勢いる現実を目の当たりにして、
たった一度しかない自分の人生だから、自分の本当にやりたいと思うことを思いきりやろう、
と考えるようになりました。
小学生、中学生のころの、大好きだった理科を、もう一度、真剣に情熱をもって勉強したいな、と思いました。
大学では留年してしまい、卒業単位を満たすのが精いっぱいの落ちこぼれでしたが、
もう一度、大学で勉強をやり直してみたいという思いが日に日に強くなりました。
大学再受験の決意
一度しかない人生なので、「もう一度、真剣に学問を学びたい」と考えるようになり、
30代からの大学再受験を決心しました。
このブログは、そんな私、ホリキタの30代からの大学再受験挑戦を記録しようと思い始めたブログです。